日本はいじめ大国 ネットのいじめに群がる加害者には決してならない

いじめ

日本はいじめ大国だ。いじめは文化であり、もはやエンターテインメントにもなっている。

ネットでいじめに加担している人たちが大勢いる。しかしほとんどの人が気付かずにいじめに加わっている

 

特に操作された世論によるいじめは悪質だ。

いじめ

日本の文化の背景として村社会がある。村を守るために、村から外れたものに対する扱いが様々な場面に今もひっそりと潜んでいる。

 

多数決が大好きな日本人だから、たくさんの同調意見には簡単になびいてしまう。

 

一人がするいじめは、正しく悪いことと認識できても、十人のするいじめに対してはおかしなバイアスが掛かってくるのはつい最近の旭川のいじめ問題でもご存知の人はいるだろう。

 

恐ろしいことに百人、二百人、もっとたくさんの人数がするいじめはもはやいじめではなくなるのだ。

 

大規模ないじめに参加している人たちは、いじめだとは微塵も感じていないものだから始末が悪い。

正義の代弁者といった気持ちなのだろう。

 

世の中では常に新たないじめの対象が期待されるかのようにマスコミが中心となって大々的ないじめキャンペーンを繰り返す。

 

それに気付かずにわれもわれもといじめに参加する著名人などがいる。

 

さらには輪をかけて無数の一般市民も後に続いている。

ツイッター

SNSはいじめに参加するためにはとても便利なツールになっている。

 

いじめ

思い出してみよう、過去にマスコミがよく取り上げたうっかり発言でどれだけの人がやり玉にあげられ、両足を引っ張って引きずり降ろされたことか。

 

あなたはその中の何人に対してけしからんと感じたであろうか。何を感じどういう行動をしたであろうか。

家族や知人に伝えた人

・SNSで意思表明した人

・ふ〜んとスルーした人

他にもいろいろあるかも知れない。

 

最も危険なことは「みんなが同じことを言っている、だから自分も同調する」という考えだ。

 

そしていじめに参加する人が増えれば増えるほどにいじめに加担している意識が希薄になることが問題だ。

いじめ

繰り返すが操作された世論ほど本当に恐ろしいいじめはない。

 

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問題となる発言は誰のどこに向けられたのか

マスコミによるいじめ

よくあるのが、著名人の問題発言をターゲットにしたいじめ。

 

マスコミが新たなターゲットを見つけては騒ぎ立てる。

そして問題となる発言を、届かない人達までわざわざ届けようと躍起になる。

 

そもそも問題となる発言は一体どこでなされ、誰に向けられたもなのか

 

問題発言が出るたびに大騒ぎが繰り返される。今年だけで何度目だ。まるで一昔前の芸能人同士のバッシングのやり合いに代わる新たなエンターテインメントだ。

 

そろそろ一般人も利用されていることに気付かないといけないのではなかろうか。

 

ネットやテレビなどでの問題発言。その発言で一体誰が傷ついたのか。ぼんやりした被害者を想定して、気の毒だ、傷ついた、差別だと発言を受け取る対象ではないお方が正義感を盾に発言者に飛びかかる。

 

そんな勇敢なヒーローの批判はごもっともな内容なのはわかる。しかし違和感を禁じえない。

 

その問題発言をたまたま観たり聞いたりして直接ショックを受けたとおっしゃられる方ご意見ならしっかり受け止めるべきだ。

 

その人たちからマスコミへ代弁することなどを頼まれでもすれば意見するのは正しいことだ。

 

誰が拡散しているのか

いじめ

その問題発言が不愉快に感じる人がいるとしても、その人たちに問題発言を誰が拡散して伝えたのか

 

火事の現場に駆けつけた近所の住人が、遠くの知人にも知らせたい心理にもどこか似通っている。

いじめ

世界の片隅で発信されたものをあたかも、全世界の気分を害するであろう人たちに向けて一生懸命に発信しているのはどちら様であろうか。

そんなネット版伝言ゲームみたいなものに付き合う価値は全くない。

 

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問題発言に張り切る著名人、知識人 

著名人

著名人など、とやかく評論する人たちは、その問題となる発言でご本人に対して何か被害を被ったのであろうか

 

直接ネットやテレビでその発言を偶然にも聞いて問題視されたのだろう

マスコミなどが拡散して伝えなければ知らないことじゃないのか?

 

一般市民の人たちがいじめに加担するための動機を提供するカモとされていることに気付くこともない著名人。

 

意見を求められたらこう答えていただきたい。

「私はその言葉を直接聞いていません。知らない私になぜわざわざそのことを伝えて意見を求めるのですか。

強いて言うなら私はその言葉による利害関係を持っていません。だから何も答えることはありません。」

 

みんな被害者かも知れない

いじめ

マスコミからこんな問題発言があったとわざわざ伝えられ、聞かれた人たちは当たり前の意見を述べる

 

マスコミの代弁者にはならないようにしよう。まるで茶番を見ているようだ。

 

インタビューでは何人に聞いたのか?肯定、否定の割合はどうなのか?

まぁそんなことはどうでもいい。

ねじ曲げようとすればいくらでもできることだから。

 

マスコミには事実を公平に取材し報道ることだけしか求めない。

 

肯定意見1件、否定意見1件、どちらつかずの意見1件の3つをしっかり取材してもらえればそれでいい。

マスコミ殿の意見は遠慮願いたい

 

このところマスコミの暴走が止まらない

人の不幸でお金儲けをしている、子供にも親にも胸を張れないような仕事と歌の歌詞*にもあるような仕事がマスコミだ。

リンク

 

いつからマスコミは正義のヒーローになったのだろうか。

 

マスコミは捜査機関なのか。いつから尋問する権利を手に入れたのだろうか。

いじめ

マスコミが偽物のヒーローに成り上がったのは、何を隠そう私たちの責任だ。

 

こんなマスコミを作り出した原因とは

マスコミ

わたしたちは過ちを冒したのだ。冒した過ちをしっかり認識しよう

過ちとはマスコミを今のような地位に成り上がらせてしまったこと。

 

もう少し具体的に言うと、

マスコミが流す「他人の不幸」に反応してしまったこと。「他人の揉め事やスキャンダル」に興味を持ってしまったこと。

 

テレビで流れる他人の不幸の報道につい反応してしまった。週刊誌や新聞の不幸の記事に目をとめてしまった。

 

いじめ

私たちの取るべき行動は、マスコミが鬼の首を取ったように誇らしげに流すニュースには反応しないこと

 

どうすればいいのか、

テレビなどの放送内容を無視する。

いっそのことテレビの電源を切る。

うっかりマスコミから見聞きしたことは誰にも伝えない。

 

何もかもを丁寧にありがたく受け取るべきではなかったのだ。

 

私はいじめには加わらない。そそのかしても無駄だ。

 

マスコミは視聴者の代表ではない

マスコミ

いつからか私たちはマスコミに対して、私たちの代表として意見を述べたりすることをお願いしているらしい。

 

皆さんはマスコミに対してお願いした記憶はあるだろうか。

私はお願いした覚えがないので誰かがお願いしたのかも知れない。

 

もしも誰一人としてマスコミにお願いもしていないのに、視聴者からなんの意思表示もないことなどを理由に、私たちの意見を代弁するように勝手に使命感をお持ちなら今すぐ辞めてもらいたい。

いじめ

私たちは、自分が言われて嫌な感じな言い方で人に問いただしたりすることをマスコミにはお願いしていないのだ。

 

マスコミはヒーローではない何者をもやっつけたりしないでいただきたい

 

マスコミに意見は述べない、聞いてもらってもありがたくない

いじめ

マスコミに私たちの意見を聞いてもらうことが価値があることと勘違いしてしまわないか気をつけないといけない。

 

マスコミが、私たちが是非とも意見を汲み取って欲しいと思っているのではないかと誤解をしてしまわないようにしないといけない。

 

繰り返すがマスコミに求めるのは、正しいことを早く伝えてくれることのみ

マスコミ殿の意見や、評価、個人的な感想などは全く必要がない

 

謝れば許される社会ではなくなったのか

いじめ

あなたは生まれてこの方言い間違いや、言ってはいけないことを言ってしまった、やってはいけない品のないことをしてしまったことはないだろうか。

 

無いと答える人は本当のウソつきだ

 

マスコミのプライドを取り戻して欲しい

ネットのネタ

本当に困っている人、本当に伝えるべきことは山程ありながらそこまで取材にたどり着いているのか?

 

ネットをウオッチしながら、たまにネットで見つけたネタを拡散するレベルがプロのマスコミなのか。

 

素人上がりのWEBライターと同じことをしていてはいけない。プロにはプロのやることがある

 

マスコミの未来とは

取材

ここまで散々マスコミ批判的な内容をしてきた。しかしこのままいつまでもマスコミがイケていないのでは困る。

 

理想のマスコミに向かっていただきたい。

・不幸を売りにしない、幸運を売りにする

・きっちりとするべき取材をする

・ネットの拡散よりもリアルな取材

・人を陥れるよりも救ける

 

★新聞に見るマスコミの凋落ぶりとは

マスコミの質が低下している事は肌で感じている人も多いだろう。

私は新聞は一般紙を購読しているが、最近の記事内容の薄さ、紙面枚数の薄さには危機感さえ覚えている。

夕刊は最たるもので、紙にしてたったの2枚になっている。その内の半ページがテレビ欄。次の一週間のテレビ番組紹介で半ページ。当然スポンサー広告あり。

これは終わりの始まりかと感じていた。

 

ネットは捨ててネットで活躍を期待する

最後に。マスコミはいなくなって欲しいとは思っているわけではない。

 

マスコミに対しては、ネットを漁り拡散するレベルで視聴者を満足させられるよつな低質なものから抜け出して欲しいのだ。

最前線で取材をしていただきたい。

誰も見たこともない、誰も知らないリアルをネットで発信していただきたい。

 

後わずかかも知れないが、テレビがテレビという名で呼ばれている間に。

 

まとめ いじめ大国でどう生き抜くか

生き残る

いじめ大国、日本には見えない誰かや、知らない誰かをいじめる自由があるようだ。

 

アメリカでは州ごとにいじめに関する州法が存在する。日本はいじめ容認派なのか。

 

私たちができることは2つ。

 

誰かのいじめには反応しないこと。

これは一見いじめに見えないことも含まれることに注意しよう。誰かの不幸とも言える。

 

生き残るための

自分に対するいじめには対策を講じよう。

世の中には計り知れない、常識の通じない対象がいることを前提に対策を立てないといけない。

 

常に話し合いで通じるわけではない。

自分一人で解決できないことがある。

 

信頼できる第三者に相談しよう、支援を求めよう。

 

こちらの関連記事を読んで考えてみよう。

 

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