靖国神社 遊就館で本当の日本を学ぶ 誇り高い日本を知る ありがとうを伝える
あなたは靖国神社と聞くとどんなイメージをお持ちだろうか。
恐らく、政治家が公式に参拝するとか、しないとかという話を真っ先に思い浮かべるのではなかろうか。
これは靖国神社のイメージを歪めているものだ。
靖国神社という場所は何か特別な神社のような印象を受けてしまうが、実際のところは想像以上にただの神社だ。
今回靖国神社を取り上げたのは、日本人なら絶対に一度は行くべき場所と感じたからだ。
靖国神社はついでで構わないが、同じ場所にある遊就館(ゆうしゅうかん)という博物館に行くべきなのだ。
靖国神社の境内に遊就館という施設がある。遊就館は過去に日本が関係した戦争に関する幾多の展示物がある博物館だ。
遊就館へ一度でも行ったことのある人にはもはやこの記事で詳しい説明など不要かも知れない。
しかし遊就館へ訪れたことのない人に対しては、とても一言では言い表せないものをこの記事では伝えたい。
参拝するとか、しないとか、そんな話ではない。
遊就館の展示内容がすごいのだ。ここでしか学べないものは、本当にかけがえのないものだ。
私の住むところは関東圏ではない。今回初めて靖国神社、遊就館へ訪れ、目に触れ、知識を得たものをレビューしていこう。
日本人なら絶対に学ぶべき歴史がある遊就館
私たちのほとんどは戦争を知らない。もちろん私もだ。
だが、敗戦国として日本を背負っている意識は少なからずあなたもお持ちだろう。
日本人として生まれたときから刷り込まれてきた、「世界に迷惑を掛けてきた日本」という存在を意識せずにはおれない。
学校では第二次世界大戦についての学びはかなり少ない。原始時代の人類の起源や古墳の方が重要とされている傾向がある。
だからこそ、私たちは自分自身で歴史を学ぶ機会が必要なのだ。ほんの100年の間の出来事なのに、教えられないことがあまりにもたくさんある。
直近の日本の歴史が詳細に学べる施設こそが、この遊就館なのだ。
遊就館には、学びになる展示内容が本当に驚くほどくさんある。120分コースという案内があるように、じっくり学ぶには半日程の時間が必要なのだ。
一度訪れるだけでは、物足りなさを感じてしまうくらいだ。再び足を運びたいと。
いや、むしろ再び訪れるべき場所だ。
日本人の心を学ぶ 遊就館で生き続ける魂とは
遊就館には日本が関係した戦争に関する学びが本当にたくさん展示されている。
第二次世界大戦だけに絞っても、アジア各国に対する侵略が一つ一つの国ごとに展示してあり、詳しく説明されている。
歴史書などでよく目にする多くの指揮官や、軍人などの遺物も相当なものが展示されている。実際の軍服や勲章、銃、軍刀、日用品など。
遊就館で本当に見るべきものは、こうした戦死者の遺物とともに、膨大な記録だ。
私たちには知り、伝える使命がある
ここには戦死した人たちの魂がある。
私たちの今があるのは、彼らの犠牲が決して無駄ではなかった証でもある。
遺書がずらりと並ぶ。
あなたは、今まで一つでも本物の遺書を見たことがあるだろうか。
遊就館ではいくつもの遺書をその目で読むことができる。
これらは涙なくして読めないものばかりだ。
遺書を解説する動画コンテンツまである。
戦地で日々綴った日記なども。
すべての人の気持ちに寄り添いたい、そんな気持ちに駆られてしまう。
ありがとう
本当にありがとう
これ以上に適切な言葉が思い浮かばない。
さらに衝撃的なのが、戦死した人たちの一人一人の写真が壁を埋め尽くす光景。
しかも、壁何面にもわたってなのだ。
圧倒される。
戦争で戦死した人たちはこれらが全てではない。それにしても、すごい数だ。
一人一人の命の重みを学ぶことができる。
誰一人残らず目にしないでここを去るのは、彼らに向き合えなかった後悔を残しそうな気持ちになる。
またいつかここに来て学びます。そう言い終えて後にする。
ここに動画を貼っておく。どんな展示があるか軽くだが、知ることができる
展示の最後には、靖国神社や、天皇、戦争、軍事などの書籍やグッズなどがずらりと並ぶお土産ショップもある。
ここに来る時点で、目と鼻がぐずぐずになっている。ハンドタオルなどは必要だ。
感受性の強い人は途中から歩くのも辛くなる可能性があるので要注意。(私は出るまで腰に激しい痛みを感じた)
日本の素晴らしさ 日本の心を伝えよう 忘れてはいけないもの
日本人なら、是非一度は遊就館に訪れることをおすすめする。
一般的に知られる靖国神社の参拝は戦死者を評価するという意味合いで論じられる傾向があるが、そんな話を突き詰めるためではない。
日本国民がなんのために戦ったのか。
それを知る。
それはたった一つの理由で片付けてしまうもほど単純なものではない。
私たちの先祖の話であり、ほんの少し前の時代の話。
彼らは生前何を思っていたか。
それを目の当たりに目にすることができる。
当時の彼らの感情は私たちとほとんど同じようなものだ。今日の私たちと同じような日常があったのだ。
ただ幸せを願って手を合わせる目的でこの靖国神社に参拝するだけなら、日本の津々浦々にある神社でも同じことができる。
ここ靖国神社に来るのは、そんな、これまでと同じ目的では意味がない。
日本人として生まれたから知っておくべきことがある。
外国人から聞かれて答えに窮する日本人であってはいけない。
この記事で私の話が一体何のことを指すのか。遊就館に行かないと理解できないかも知れない。
是非意味するところを理解しに遊就館へ行ってみて欲しい。
そこで感じたものを次の未来に繋げていこう。
それが私たちにできること。
彼らの意思に応えること。
私はまたここに来る。
伝えきれていない感謝を伝えたいから。
たくさんの感謝を伝えに靖国神社の遊就館へ行こう。
未来に向けてなら、ありがとうは無限に生まれるから。
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